5月25日、テレビ東京の「ワタシが日本に住む理由」は、アフガニスタンのアシュラフ・バブリさん(40歳)がゲストだった。バブリさんはアフガニスタン大使館で通訳兼経理の仕事をしている。MCの俳優・高橋克典さんによれば、同番組にアフガニスタン出身者が出演するのは初めてということだった。
アフガニスタンは40年以上も戦乱や混乱が続いているが、1982年生まれのバブリさんはソ連軍がアフガニスタンに侵攻している時代に生まれ、ソ連軍の撤退後も、1990年代は軍閥同士の内戦があり、96年にタリバンが政権を掌握するなど、その幼年期をアフガン社会の混乱の中で送った。
バブリさんが生まれたのはアフガニスタン東部のジャララバードで、農業を営む父親も農学で日本に留学経験があり、キュウリの品種改良に取り組んだ。アフガニスタンのキュウリは硬くて太いものが多いが、日本のスマートで、身の締まったキュウリの栽培を目指した。父親の日本への留学経験など家庭的に日本と縁があったバブリさんが最初に会った日本人はジャララバード近郊で活動していた中村哲医師で、2001年のことだった。アフガニスタン人たちの支援を行う素晴らしい人だと思ったという。

広島女学院のページより
父親が日本人女性と再婚したこともあり、バブリさんは2009年から日本に住むようになったが、日本の印象は母親たちが公園で子供たちと遊ぶなど世界にこんな平和なところがあるのかというものだった。アフガニスタンはイスラムの戒律もあって女性たちが一般の目に触れるところで働くことはなかなかないが、日本ではごく普通に女性たちが店頭に立って、中には威勢のいい声を出して客とやり取りを行う人もいる。
番組の中でバブリさんはいくつか日本とアフガニスタンの文化的相違についても語っていた。アフガニスタンではほとんどの場合、婚姻は親が相手を決める。バブリさんは2013年に隅田川花火大会で知り合った日本人女性と結婚した。しかも、プロポーズは日本人女性のほうからで、そういうことはアフガニスタンではあり得ない。

バブリさんが最初に住んだ街、亀戸には花屋さんがあるが、タリバンは花屋の営業を認めず、また花をプレゼントすることも禁じたという。タリバン支配はイスラムの正統な解釈によるものとは異なり、厳格な解釈はその指導者たちの出身地域の限られた地理的範囲で通用するものだ。
バブリさんはアフガニスタン大使館内部も案内していたが、アフガニスタンと日本の共通するものとして、大使館内で展示されているコタツを挙げていた。大使館で働くバブリさんだが、現在日本とアフガニスタンのタリバン政権の間には外交関係がなく、アフガニスタン大使館の職員たちは皆ボランティアで働いている。バブリさんもアフガニスタンのドライフルーツやナッツ類の販売を行うビジネスを立ち上げている。商品は高級ホテルにも卸しているという。見るからに高級そうなナッツ類だった。アフガニスタンの女性たちを支援するために、彼女たちがつくったドライフルーツやナッツを日本で広めたいという抱負を語っていた。

https://www.unicef.or.jp/news/2018/0067.html
座右の銘は「海に深く潜れば真珠が採れる」というもので、これは日本の「なせば成る」に相当するのだという。アフガニスタンには海はないが、おそらく同じペルシア語文化圏のイランあたりから入ってきた言葉だろう。日本に対する注文は「ない」と言い切った。日本に対する遠慮があるかもしれないが、あえてアフガニスタンの人々の想いを代弁すれば、日本はアフガニスタンへの関心を途切ぎらすようなことなく、現政権と外交関係を結び、その支援を考えていくべきである。
アイキャッチ画像はバブリさん
https://www.tv-tokyo.co.jp/…/24001_202205251955.html

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