2015年6月22日、慶應義塾の「戦争と慶應義塾」アーカイブ・プロジェクトで、99歳の鈴木和男氏(昭和14年政治学科卒)が日吉のキャンパスで講義を行った。

http://fmcproject.lekumo.biz/…/2015/05/07/img01b_470.jpg
鈴木さんは卒業の翌年の昭和15年に陸軍に応召され、ガダルカナルの戦いなどを経て、ラバウルで終戦を迎えた。

昭和17年10月24日 鈴木大次郎氏提供
http://project.fmc.keio.ac.jp/exhibit01-A-P14.html
ガダルカナルでは白骨化した戦死者の遺体が、弔いの手を合わせるのもキリがなくなるほど、歩みゆく先々で見かけ、高温多湿のガダルカナルでは遺体も3日もすれば白骨化したことなど自らの戦争体験を学生たちに語った。
http://project.fmc.keio.ac.jp/

慶應義塾大学三田キャンパスにほど近い、大衆割烹料理屋「つるの屋」。毎晩、多くの塾生や塾員で賑わいます。今回は、ここのご主人、渡辺教義さん(通称じーじ)が、終戦直前の昭和20年に予科練を志願した体験について語って下さいました。
http://project.fmc.keio.ac.jp/2015/04/post-3088.html
慶應義塾では、戦後70年を前にして2013年に「戦争とアーカイブ・プロジェクト」を立ち上げた。終戦の時に20歳の若者だった人も今年は90歳になり、実際に戦争を体験した語り部も非常に少なってきている。慶應義塾は、その関係者から先の大戦で2200人を超す戦没者を出し、また空襲被害という点では全国最大の規模だった。この「アーカイブ・プロジェクト」では慶應義塾を通して、日本が戦争にいかに関わったかを検証する。そのために、戦争という試練を経た塾員(慶應義塾の卒業生)などへの聞き取り調査や、彼らが遺した資料などの収集を行い、展覧会やインターネットで公開し、アジア・太平洋戦争を問い直す作業を進めている。戦争の過去を検証することは慶應義塾だけでなく、日本の政治社会や将来の世代に対しても戦争という悲劇を繰り返さないための教訓やメッセージとなることだろう。

『三木淳写真集 慶應義塾』(美術出版、1979年)より
日本は兵力不足が深刻になった昭和18年(1943年)学徒動員を行い、20歳以上の文科系男子学生を徴兵した。これによって、戦地に赴いた学生たちの数は、13万人とも言われるが、戦死者については概数すらもいまだに出ていない。
アイキャッチ画像は 日吉の授業で、今年99歳になる鈴木和男さん
http://project.fmc.keio.ac.jp/

『三木淳写真集 慶應義塾』(美術出版、1979年)より

「第48回明治神宮野球大会 大学の部」
2017年
https://cyclestyle.net/…/img/2017/11/22/54570/261385.html
コメント