2012年に日本に招請したことがあるアフガニスタン・カンダハルの教育家のフロータンさんは、自身が運営する「WESA(Watan 〔祖国〕Education System of Afghanistanアフガニスタン・ワタン教育システム)アカデミー」で、中村哲医師の業績を偲んで「ナカムラ杯スーパーカップ・サッカー・トーナメントを行った。トーナメントの前には黙祷が捧げられた。フロータン氏はアカデミーの運動場を子どもたちにも中村医師の偉業を知ってほしいという思いから「ナカムラ運動場」と名付けた。中村医師が凶弾に倒れてからもうすぐ4年が経つが、中村医師はアフガニスタンの人々の記憶の中にしっかりと生き続けている。
静岡県島田市のアフガニスタン人医師レシャード・カレッド医師は、中村医師が人の心に入り込んで支援を続けたことを強調している。現地にとけ込んで、互いに理解することによってこそ、自分自身の心を開いてお互いに話をすることができるし、また現地で実際に活動することによって、人々が本当に何を必要としているかを理解することができるとカレッド医師は説く。電話やメールだけでは人々の信頼を得られないし、ましてや何かを与えてやるという上から目線の発想では反発されてよくないというのがカレッド医師の考えだ。中村医師は、アフガニスタンの人々にも敬意を払い、実際に会話しながら、彼らが望み、欲することを理解、把握していった。
カレッド医師は「おなかのすいている人に魚ではなく、魚の取り方を教えてあげるという中村先生の考え方を今後も残したい。」と話している。

中村医師は、アフガニスタンの人々に食べ物をあげたのではなくて、食べ物をつくる方法や手段を与えた。こうした支援ならばアフガニスタンの人々の自立に長期にわたって役立ち、さらには半永久的にアフガニスタンの人々の財産になる。

https://ameblo.jp/kees-popinga/entry-12556277089.html
日本や日本人が本当にすべきなのは、人間に対する支援を人間が行うことなのだと中村医師の生き方に接してつくづく思う。中村医師の活動はその鑑、貴重な手本となった。平和をつくるとは中村医師の活動のように、平和をつくる人間を後押しし、またそのような人間が増えることを手助けすることだ。
戦争による破壊は一瞬だが、平和をつくるには長い忍耐と努力が必要だと中村医師も言っておられた。巨額な最新鋭兵器が新型コロナウイルスにまったく役立たなかったように、戦争や暴力は人間に何ももたらさないことはコロナ禍の時代を経験して世界はあらためて認識したことだろう。1980年代から2010年代の終わりまで、戦乱の続くアフガニスタンの難民を救済し、暴力主義や戦争にあらがうように、砂漠に緑を取り戻して平和をつくる実践を行い、真の平和主義の手本を現地の人々や、国際社会に示した中村医師の活動は、日本をはじめ世界のより多くの人々に知られて理解され、半ば永遠に継承されていくものであってほしいと切に願う。

アイキャッチ画像は https://www.fnn.jp/articles/-/16586 より
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